他者弾圧に「無関心の過ち」呼びかけ続けるニーメラー 「私は共産主義者でなかったから・・」


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星出 卓也


「ナチスが最初に共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったからである。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」これは、ドイツのルター派教会の牧師 マルティン・ニーメラー(1892~1984)の言葉です。

菅義偉首相が日本学術会議の新会員6人の任命を拒否した問題で、この言葉を想起した人も多いのではないでしょうか。学術会議への人事介入に対し、筆者が所属する日本キリスト教協議会や、映画人22人が出した抗議声明でもニーメラーの言葉が引用され、関心が広がっています。

ニーメラーは、ナチス・ヒトラー政権が、ドイツ中の教会を意のままにしようとしたことに抵抗した「ドイツ教会闘争」の指導者となった人物で、彼自身1937年7月1日の逮捕から1945年の敗戦まで獄中や強制収容所での生活を強いられました。

容認・加担罪責の告白

釈放された後、戦後のドイツの教会の再建に尽力し、西ドイツ再軍備や核武装への反対など国内外で平和について発言する人となりますが、彼が語る言葉はいつも、弾圧を受けた被害者としてのものではなく、弾圧を容認・黙認し、その結果、加担する者となった加書者としての罪責の告自でした。

彼が語り続けた言葉が、冒頭に挙げた「ナチスが最初に共産主義者を攻撃したとき…」のメッセージです。

ニーメラーが指摘しているのは、自分や自分が関わる教会に被害が及ぶまで、既に起こっていた弾圧や排除が行われていた現実に、彼自身が無関心であった、ということです。それは他人の問題であり、自分の問題とは考えなかったことでした。

やがてその矛先は自分たちにも向けられることとなり、1933年に成立したヒトラー政権は、教会を意のままにしようと教会組織を一元化し、ナチスの影響下にある「ドイツ的キリスト者」たちを教会組織の監督職にすげ替え、ドイツ民族主義を標榜し、政権を批判する牧師たちやユダヤ人を排除する「アーリア条項」を全教会に即時導入します。

ニーメラーら多くの教会の指導者は、「牧師緊急同盟」を結成し、3分の1にあたる7036名の牧師たちが連盟に加わり対抗しますが、1938年までに起訴された牧師は1441名、牧師解職は2760名、その他説教禁止命令などが課され、声を挙げることも困難になりました。あの時、他者に向けられた排除は、自分の排除の前触れだったのに、排除されたのが自分でなくてよかった、と考え、声を挙げずに沈黙した彼自身の過ちを、彼は語り続けました。

時代超えて今への警告

日本学術会議任命にて排除された学者らの出来事は、「学者」という狭い問題ではなく、私たちの口を塞ぎ、耳を塞ぎ、見るべきものを見なくさせる始まりだった、と後に後悔することがないように。ニーメラーの言葉は、時代を超えて、今の私たちに呼びかけ続けている警告ではないでしょうか。

(ほしで・たくや 日本キリスト教協議会靖国問題委員会委員長)

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