昭和歌謡 わしづかみ考現学 「仕事に誇りと希望を持って 喜びも悲しみも 働く人々の歌 編」

画像


1950年代から80年代末まで、昭和の時代を彩ってきたドーナツ盤。その一枚一枚には、さまざまな物語が刻み込まれています。古本と昭和を愛するライター・岡崎武志さんと、ドーナツ盤に魅了されたDJ・郷原一郎さんのユニット「ドーナツボーイズ」が、昭和歌謡の隠れた系譜をあぶり出していきます。

岡崎 武志  郷原 一郎

岡崎…最終回の今回は働く人たちをうたった歌を問いていこうと思います。


◆  


郷原:敗戦直後1946年の岡晴夫「東京の花売り娘」を皮切りに、65年頃までたくさん働く人々の歌が出ていて、さながら職業カタログです。

画像


岡崎:♪花を召しませ 召しませ花を〜(と、いきなり歌い出す)。ええなあ、岡晴夫!当時の日本映画を見ると、銀座の酒場でも花売り娘がいた。戦後日本の第一歩を感じさせるね。

郷原:路上の売り子の歌は一つの系譜としてありますね。異国情緒が新鮮な小畑実「長崎のザボン売り」(48年 )、♪花を召しませランラランの美空ひばり「ひばりの花売り娘」(51年)、♪わたしゃ雪国薬売り〜、 コミカルな宮城まり子「毒消しゃいらんかネ」(53年)。曲調にも焼け跡からはい上がっていく明るさがあります。

岡崎:「ザボン売り」は、おかげで全国的に有名になったというね。「毒消売」は、かって新潟の娘たちが、手甲脚半姿で食あたりの薬を全国に行商したことから生まれた歌とか。

郷原:宮城まり子といえば「ガード下の靴みがき」(55年)。戦災孤児の受け皿として、靴磨きの仕事がありました。貧しさ、風の寒さ、ひもじさ、夢のなさが歌われていて切ないですね。後に肢体不自由児の施設「ねむの木学園」を創設した宮城の福祉活動の原点のような歌です。

岡崎:ほんまやなあ。鶴田浩二「街のサンドイッチマン」(53年)も代表的な路上の仕事。いわば人間広告塔。この歌には実在のモデルがいたというね。今は「サンドイッチマン」と言えば、お笑いコンビだと思ってる(笑)。

郷原:交通機関で働く人の歌の系譜も見逃せません。津々浦々の風物と、そこで出会った娘を歌う三木トリローほか「ボクは特急の機関士で」(51年)は148番まであります。バスの車掌を歌ったのは、中村メイコ「田舎のバスで」(54年)、コロンビア・ローズ 「東京のバスガール」 (57年)。

画像


岡崎:当時、女性の憧れの職業の一つやな。切符切りだけじゃなくて、バスを誘導したり活躍した。乗客には、ひいきのバスガイドがいたりして。

郷原:♪発車オーライ明るく明るく走るのよ〜、と歌う「東京のバスガール」には、酔った意地悪な客にどなられて、という苦労も歌われています。働く人の歌は、大変なこともあるけど、仕事に誇りと希望を持って がんばろう、というのが基調ですね。

岡崎:今、仕事に誇りや希望を持ちにくくなっている時代かもしれんね。僕は持ってるよ、仕事に誇りも希望

郷原:それはよかったです(笑)。海への憧れか、 マドロス歌謡は一大潮流でした。美空ひばり「ひばりのマド ロスさん」(54年)、北島三郎「マドロスさぶちゃん」(63年)。海の男と港で待つ女の対比、危険を伴う航海に乗り出す男の心情など、昭和歌謡を成り立たせる要 素が詰まっていますね。


◆  


岡崎:僕は、山田太郎「新聞少年」(65年)は働く歌の自眉やと思う。♪僕のあだ名を知ってるかい朝刊太郎と言うんだぜ。そんなあだ名のやつはおらんやろ(笑)。家が貧しく、早朝の新聞配達はつらいけどでかい夢がある、と。1963年の調査では、新聞販売所従業員の72・8%が中高生で、そのうち9割が中学生。

画像


郷原:今は中学生の新 間配達は見ませんね。

岡崎:子どもで働いてるのは「じゃリン子チエ」ぐらい(笑)。新聞配達の子どもたちは、この歌にどれだけ励まされたか。

郷原:僕は、美輪明宏「コイトマケの唄」(65年)に心を打たれます。道路工事の日雇い労働者として働く母の姿を見て育った子どもの思い。美輪が炭鉱町の劇場で公演した時に、観客の鉱夫から「俺たちが歌える歌を作ってくれ」と言われて作った、という話があります。

画像


岡崎:炭鉱テーマの歌謡曲はあるのかな。結局、酒の席では♪月が出た出た〜の「炭坑節」になる。

郷原:デューク一エイセス「ぼた山」(65年)があります。父が炭鉱で亡くなって、母と二人で炭鉱で働いて…という歌で す。フランク永井「13,800円」(57年)は、当時の平均月収がタイトルになった珍しい歌 ですが、1番に炭鉱夫の暮らしが歌われています。

岡崎:奇抜なタイトルやなあ。たばこのゴールデンバットが30円の時代やね。灯台守を歌った若山彰「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)もそうやけど、昭和の時代は、世間に知られていない仕事に、歌によって光が当たった。これは大事なこと。

郷原:65年以降、パタッと働く人の歌が作られなくなったのは、なぜでしょう。貧しくても働けば必ず生活が良くなるという希望のあった時代が終わったということでしょうか。

岡崎:戦後の復興が成功して安定したら、適当にやった方が得という意識が定着したか。サラリーマンは気楽な稼業だと歌うクレージーキャツツ「ドント節」(62年)は象徴的 。自動販売機、自動改札と無人化も進んで、懸命に働く人の姿が可視化されなくなった。


◆  


郷原:今回改めて、昭和歌謡は歴史の証人であり、優れた記録装置だと思いました。歌を回ずさむだけでその時代を追体験できる。歌い継いでいくことで史実の伝承ができます。

岡崎:昭和歌謡の中には、まだまだ財産が 眠ってるね。

(おわり)

(わしづかみ考現学)
https://midori-tomo.at.webry.info/theme/933546871b.html

(昭和歌謡)
https://midori-tomo.at.webry.info/theme/1b78e5cf2f.html

"昭和歌謡 わしづかみ考現学 「仕事に誇りと希望を持って 喜びも悲しみも 働く人々の歌 編」" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント