文芸時評   平川 由美 「正義」とは自明なのか


2020-05-25-「正義」とは自明なのか.jpg

コロナ禍の中、国家が自粛要請という形で個人の、行動を規制し、他人にうつしてはならないとする「正義」によって相互監視が強まり、逸脱行為や感染リスクの高い集団を糾弾し排除する言葉蔓延している。

存在の自由と多様性をその核心とする文学は、こうした閉塞社会への疑間と危機感をいち早く表現した。

非常時こそ 自分の声を

小林エリカ「脱皮」(『群像』)は、頭文字がDAPPI(通称・脱皮)という原因不明の感染症が流行している日本を描く。発症すると言葉を徐々に失い、会話も読み書きもできなくなることから、患者は「虫」とののしられ、収容施設は「蟄」と呼ばれている。患者の家族も攻撃の的にされ一家心中も起きていた。

登場人物は不安定な立場の女性たちである。人工授精と流産を繰り返す独身の 理科教師、不寛容な社会の言説に傷つく女子高校生、脳出血で半身不随になり介護を受ける老女。社会の周縁で生きる彼女たちは、言葉を奪う病を目前にして、それぞれの人生を問う。

「わたしは人間のクズとして生きるくらいなら、虫になりたい。わたしたちはもう、言葉も何もかも、みんな、手放すべきなんだよ」「わたしにもともと言葉なんて、あっただろうか。わたしの言葉が、だれかに届いたためしなど、一度だって、あっただろうか」

女性たちの声が封じられ、黙殺されてきた過去から現在までが、非常時を舞台にすることで鮮明に浮かび上がる。そして、非常時だからこそ自分の言葉を発していくことが希望なのだと作品は語りかけてくる。

命の感触に 救われる時

金原ひとみ「アンソーシャル ディスタンス」(『新潮』)は、感染防止のため人との距離を保とうと政府が盛んに呼びかける「ソーシャルディスタンス」を反転させたタイトル。反社会的距離というべきか。

10歳の時から希死念慮にとらわれ、リストカットや薬物使用、過食と拒食を繰り返してきた沙南は、大学のゼ ミの先輩だった幸希とつきあい始め、かの間の平穏を得る。嫌々ながらも状況に擬態して就活も卒論もこなす幸希は、沙南をこの世界につなぎ留める細い糸だ。沙南は妊娠し、産むという未来も夢想するが、中絶を選ばざるを得ず、元の「地獄」へ舞い戻る。

物語はコロナが拡大を続ける中で展開する。沙南の就活は滞り、二人にとって大切なバンドの公演中止が、ぎりぎりの精神状態で生きる沙南を打ちのめす。ことさらに若者の外出自粛が叫ばれる中、二人は心中旅行へと出かけるが …。

個々の実生活に価値を認めない非常時には、人はふと糸が切れたように死の側へ転がり落ちるのかもしれない。体全体の五感による他者との交流は時に煩わしくとも、人は確かな命の感触に救われる。先述の2作品が、 コロナ危機の今、生殖を題材の一つにした理由もそこにあるのだろう。

権力による支配と統制

鴻池瑠衣「最後の自粛」(『新潮』)は、埼玉県のある男子高が舞台。地球温暖化研究会の唯一の部員・村瀬が、顧間教員の俺を巻き込み、発明した気象操作機械「坂東賢志郎」を利用して共学化阻止を計画する。男女平等という「正義」をふりかざし共学化を強行する県教育委員会に対し、即時撤回しなければ熊谷市の平均気温を順次上げる、手始めに今夏を灼熱地獄とする、と脅迫状を送り、観測史上最高温度は実現した。

しかし2021年からの男女共学実施が決定される。村瀬と賛同者たちは、異常気象を起こして東京オリンピックを開催不可能にすると宣告し共学化を阻止しようとするが、折しもコロナが感染爆発しオリンピックは1年後 に延期となる。作戦が挫折した村瀬たちは新たに、感染防止を盾に自粛を強制する抑圧者を「自粛」させる活動を開始する。そしてついに世界各国首脳と政治家の集うオリンピックの開会式を迎え。。。。

「正義」とは自明なのか。「正しさ」という規範は、権力による支配と統制に当たらないのか。作家の渾身の思索が炸裂する。

先輩教師の苦悩描いて

民主文学新人賞が宮腰信久「孤高の人」に決まった(『民主文学』)。男子高 を舞台に、敬愛する先輩教師が教育への熱意ゆえに、あるべき教師像。あるべき生徒の人間像と現実との間隙に落ち、自己が引き裂かれていく悲劇と、その後の再生を描出する。教育とはありのままの自己と他者の受容から始まることを考えさせる。
(ひらかわ・ゆみ)




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