平和の日本いつまでも 映画監寧 山田火砂子
昨年11月30日に紹介しましたが、今度は、この映画のメガホンを撮られて
映画「山本慈昭―望郷の鐘―満蒙開拓団の落日」を完成させました。
きっかけは一昨年のこと。作家の和田登さんから児童書『望郷の鐘』が送られてきました。 一九四五年(昭和20)五月一日■満州に渡った山本慈昭さんの話です。
「えっ。あと三カ月で戦争に負けるという時期に…」
印刷ミスではないかと思い、電話をしました。しかし事実だと聞いてびっくり。「なぜこんなことが起きたのか。これを映画にしよう」と思い立ちました。
満州国は、私が生まれた一九三二年(昭和7)、中国東北部に日本が勝手につくつた国。日本政府は「食料がたくさんある。広い土地ももらえる」と宣伝し、移住を奨励しました。
これが満蒙開拓団です。映画の主人公・慈昭さんは長野県の僧侶で、教員でもありました。三ヶ村の村長に頼まれ、一年との約束で一九四五年五月、小学校の先生として、家族三人とともに満州に渡りました。しかし落ち着く間もなく八月九日、ロソ中立条約を破ったソ連軍が、満州になだれ込んできます。
平野を逃げれば殺される。慈昭さんたちの開拓団は山の中を逃げましたが、つぎつぎソ連兵にとらえられ、 16歳以上の男子はシベリアに連行されました。
慈昭さんは運良く助かったものの、家族は帰ってきませんでした。しかしその後、満州から帰れずに孤児となつた子どもたちがおおぜいいることを知った慈昭さんは、彼らが帰国できるように生涯を捧げ、厚生省(現。厚生労働省)を動かしたのです。慈昭さんは「満蒙孤児の父」と呼ばれました。
国家が総力をあげてつくりあげるウソは、いつの時代でも見破ることは容易ではありません。ある作家の方は、東京大空襲(一九四五年二月一〇日)で助かった約四〇家族が八月一日、満州に渡つたという話をしてくれました。「満州国は空襲もない平和の国」と信じていたのです。
満州国の設立がきつかけで日本は国際社会から孤立し、第二次世界大戦の発端にもなりました。この事実をなぜ教科書で教えないのか。もう二度と他国を侵略しないでほしい。戦争は嫌です。
今年は戦後七〇年。平和の日本いつまでも――。私はこの一月で83歳になりました。今後も元気に映画を作り続け、一〇〇歳までも生きたいと思います。
関連記事:「望郷の鐘―満蒙開拓団の落日」
http://midori-tomo.at.webry.info/201411/article_31.html
山田火砂子(やまだ・ひさこ)
映画監督。一九三二年生まれ。現代ぷろだくしょん所属。「石井のおとうさんありがとう」主演・松平健)、「筆子。その愛―天使のピアノー」主演・常盤貴子)、「大地の詩―留岡幸助物語―」主演・村上弘明)の福祉三部作は、いずれも児童福祉文化賞を受
賞.個人として、二0 一一年度の児童福祉文化賞(特別部門)受賞。アニメーション映画「明日の希望」(主演・声・水木一郎) は二〇一三年児童福祉文化賞推薦作品。

この記事へのコメント