劇映画「望郷の鐘-満蒙開拓団の落日」の紹介

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以前に「帰ってきたおばあさん」の紹介をしました。それとは別に、同じ満州に取り残された子供たちを早く日本に迎えなくては。。。「中国残留孤児の父」といわれた「山本慈昭」の人生の映画化です。それが以下の要領で公開されます。

上演日:2014年12月17日(水)
場 所:横浜 関内ホール(小ホール)
    JR関内駅北口徒歩5分 所在地 横浜市中区住吉町4-42-1
時 間:①14時〰 ②16時30分〰 ③19時〰
問合せ先: 電話 03-5232-3992(げんだいぷろだくしょん)
平日なのでご都合が合わない方もいらっしゃいますが、是非ご覧頂きたいと思います。

http://www.gendaipro.com/bokyo_new/index_top.html

(概要)
子どもたちは生きているはずだ。 満州に残した子どもたちを 早く日本に迎えなくては―。 「中国残留孤児の父」といわれた山本慈昭。阿智村長岳寺の住職をつとめながら、残留孤児たちの肉親さがしに生涯をささげ、献身的な愛でささえた。その山本慈昭の人生を、余すところなく描いた感動巨編。


(詳細な説明について)

中国残留孤児の父「山本慈昭」さんは、1902年(明治35年)信州の古い城下町の飯田市伝馬町に生まれ、1932年南信州阿智村駒場の長岳寺の住職になります。1945年5月(昭和20年)満蒙開拓団阿智郷(参加者330人)の小学校教諭として51名の生徒とともに渡満。この時期、3月に東京大空襲(死者10万人)があった後です。

沖縄は陥落寸前です。たった4ヶ月後、8月ソ連軍の侵攻、敗戦、生きて帰ったのは42名、そのうち生徒は5名です。山本さんは奥さんと2人の子供を連れいましたが自身はソ連軍に拉致連行されシベリアへ、帰国後に家族の死を伝えられます。24年後(1969年)、臨終の床の村民から長女啓江さんが生存しているのではないかという話を聞きます。

1972年日中共同声明により国交が開かれ、山本さんの中国残留孤児探しの活動が始まります。

1980年(昭和55年)残留孤児の訪中調査に赴きます。80歳のときです。315人の孤児に面接、その調査報告が翌81年の第1回47人の残留孤児の来日に結びつきます。孤児といっても年齢は40代です。

このときの肉親判明者は24名。不明のままの23人に山本さんは語りかけます。 「今日から私が皆さんの父親になります。いつでも日本に来てください。私の家に来てください。待ってます」 山本さんは年金と住職としてのわずかな収入のほとんどをこの運動につかっていたといいます。満蒙の地に散った教え子たちへの贖罪だったのでしょうか


その後、肉親にめぐり会えなかった方の一人が山本さんの娘さんを探し出してくれたそうです。90歳,100歳までこの仕事を続けるとがんばっていましたが88歳で天寿を全うします。

日本テレビのHPより転載させていただきました。

関連記事:http://midori-tomo.at.webry.info/201502/article_12.html


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