第84回メーデー 横浜公園で開催 2000人参加 友の会も参加

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昨日(2014年5月1日)は、第84回メーデーの日で、横浜では、関内駅近くの横浜公園で開催されました。早朝は小雨が降っており、「今日のメーデーは雨の中か?」と思いきや、8時9時になると、日も照りだし、春のさわやかな日和になるました。

9:20分頃には、横浜公園入り口では、色々な署名を集める参加者で、ごったがえっていました。みどり野診療所友の会では、「中山駅踏切の立体交差化の署名」に取り組みました。昨年は、「四季の森公園を守る」署名でしたので、感慨深い気持ちになりました。

「中山駅踏切の立体交差化をすすめる署名です。よろしくお願い申し上げます。」と。。
10時にメーデーの記念集会が開催されました。友の会も参加しましたので、旗を持った姿を記念に写真をと。。。。。。。

 集会の様子の全体写真、デモ行進での写真を見つけましたので、利用させていただきます。ご容赦願います。
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 「なくせ失業と貧困」をメインテーマに第80回メーデーが全国で取り組まれました。
水谷正人実行委員長は核兵器廃絶を呼び掛けたオバマアメリカ大統領の演説にふれ、「平和と核兵器廃絶、戦争のない社会、憲法9条の実現をめざして全力をあげよう」と呼びかけました。ことしのメーデーのスローガンは「働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう」

その後デモ隊は「仕事をよこせ!」「消費税の引き上げは許さないぞ!」とシュプレヒコールを響かせながら県庁舎~馬車道~横浜市庁舎をめぐり横浜公園で解散しました。
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(メーデーの歴史:一口メモ)

労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源。1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行われた。

1888年にAFLは引き続き8時間労働制要求のため、1890年5月1日にゼネラル・ストライキを行うことを決定したが、1886年の統一スト後にヘイマーケットの虐殺(Haymarket massacre)[5]といわれる弾圧を受けていたため、AFL会長ゴンパースは1889年の第二インターナショナル創立大会[6]でAFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請、これが決議され、1890年の当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行された[7]。以後も労働者の権利を主張する運動、また、国民がその時々の要求を掲げ団結と連帯の力を示す日として継続・発展してきた。
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1920年5月2日日曜日、上野公園、1万人の労働者が参集
・「八時間労働制の実施」・「失業の防止」・「最低賃金法の制定」などを訴えた

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