「スタート集会」が開催(2012年9月27日) 汐田診療所の設立(1945年)(その一)
毎年、10月11月は、「友の会」会員拡大と出資金獲得の特別月間と決まっています。
そこで、9月27日に、みどり野診療所職員、介護センター職員、友の会会員が先ず、事務の方の美味しい「カレーライス」に舌鼓を打ちつつ、昼食を食べながら、参加を頂きました。
その後、13:30分より「スタート集会」が開始されました。相楽事務長の司会で始まり、最初、友の会篠崎支部長のあいさつ、次に、よこはま健康友の会 加藤組織部次長の話がありました。その話は、よこはま健康友の会がいつ頃発足したか、みどり野診療所の創設の経過等々、全く初めてで有ると同時に感動的な話を聞くことができました。
そこで、「これは、残さなくちゃ」という思いが沸き起こってきました。そこで、ここに、数回に分け、解り易い記載する事に致します。まず、篠崎支部長あいさつです。
(篠崎支部長あいさつ)
今日は、「老人昼食会を開いて、それの途中でここに来ました。」その昼食会で、参加者がだんだん「高齢になられ」参加できなくなって、参加者が少なくなっていました。援助者の方も「寂しいね」と。
そこに、仲間が「3人の新しい方を連れて来たんです。」そうすると、みんなが元気になり、「いっぺんに、元気になって」「頑張って、続けようね」という話で弾みました。
そうです。新しい仲間を増やすとみんなが元気になります。10月11月の月間で、仲間を増やして、みんなで元気になりましょう。
(加藤 横福協 組織部次長の話)
加藤さんの話は、実に分かり易く、同時に、初めて聞く話ばかりで、先人達がどのように苦労して、民医連 の組織を作ってきたかと言う事が良く分かる話でした。ここに紹介させて頂きます。
今回は、汐田診療所と民医連 の話です。
今から57年前ー汐田診療所の誕生
半世紀以上前の1945年ごろ、当時の横浜市鶴見区の海側(JR線から海側の町)は、京浜工業などの大企業系列下にある「中小零細企業」で働く労働者と、その家族が住居する地域でした
つまり・・・低所得者が多い街で、貧富の差が激しい街でした。(それは、今でも変わしませんが・・・)
必然的に、貧困生活と医療に苦しむ地域でした。
当時の地域住民が「働くものの医療機関を作ろう!」と立ち上がりました。
汐田診療所の誕生
各民主団体、町内会、商店会が協力して、建設委員会を立ち上げ、建設カンパ活動を行いました。そして、1953年(昭和28年)に汐田診療所が設立しました。
<汐田診療所の基本方針>
①利益を目的としない民主的運営と経営を行う
②医療従事者は患者に奉仕し医師の良心に従う
③各自の思想は自由であること
汐田診療所が誕生した同年(1953年)に、「民医連」に加盟をしました。そして、財団法人横浜勤労者福祉協会設立へ。
ここでちょっと寄り道:民医連 とは?
汐田診療所が加盟をした「民医連」ってな~に?
民医連綱領
特徴(新綱領から抜粋
一)無差別で平等の医療と福祉を目指す
⇒差額室料(ベッド)を取らない
一)人権を尊重、人々の命と健康を守る
⇒総合医療に挑戦/健診の強化
一)命を粗末にする「戦争政策」に反対
⇒各署名運動や、原水禁大会参加
民医連の事業所の草創期
どこでもそうであるように、①貧しい地域に、医療施設が無い、② そして、自分たちの医療機関が、③欲しいと、地域の人人、地域の ④ 民主団体等の声(思い)、力を ⑤ 寄せ集めて、建てられてきました。
次は,みどり野診療所設立までの歴史を紹介します。

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